今ある何気ない幸せ

こんにちは。岐阜県大垣市の心理カウンセリングルーム『株式会社こころ家』代表の西村です。

私事になりますが、明日2/5は上の子の14回目の誕生日です(*^^*)
そして毎年、誕生日前日である2/4に思い出すことがあります。それは、上の子が生まれた時に私は悪性リンパ腫という病気で入院し、抗がん剤治療中の2/4に大腸カメラ検査を受けたこと。

当時28歳の私は、それまで大きなケガや病気をしたことなかったのに、第一子の生まれる1か月前に悪性リンパ腫であることが解り、抗がん剤の治療を受けることに。もしかしたら子どもの顔を見れないかもしれない・・と不安に思いながら闘病していた14年前。

この経験をして以来、毎年この時期になると、当たり前のように過ごせる幸せを感じながら、いつその時が来ても後悔の無いように過ごしていこうと改めて感じます。

当たり前のように感じている日々の幸せを感じよう!とか、後悔しないように生きよう!みたいな言葉は、ネットや本の中などでよく言われていますが、正直その言葉を見ても『それはわかってますけどねぇ~』って感じしませんか?逆に、『いやいや、今の私の状況ではそんな風に思えませんから』って気持ちになったりしませんか?

ぶっちゃけ私も28歳までは、そう思っていましたよ(笑)でも今は違います。

そりゃあなたは、そんな経験したからでしょ?私もそんな経験したら思えるようになるかもしれませんね!って方がいたら、ぜひこのブログを読んで欲しい。

人間のすごいとことは、言葉を使ったコミュニケーションと共感力。この二つを使って他人の経験を疑似体験して自分の経験値に換えていけるところ。先ほどのような気持ちがある方は、私の経験を読んで自分の経験に換えてみて下さい。そうすればあなたも、何気ない日常の幸せを感じることができるようになるかもしれませんよ(*^^*)

目次

基本的に私は、楽観主義です。というか自分では、楽観主義だと認識しています。なぜこれを今言うのかは後で、『楽観主義だと思っていた自分が・・・』という部分に繋がるから初めに伝えておきます。

悪性リンパ腫と分かるまでの経緯

2008年から2010年の夏ころまで、当時の会社から私と奥さんに新規事業を任せて頂き、自分たちの発案だった仕事なので休日もなしでとにかく頑張っていました。初めはモチベーションも高かったのですが、全然軌道に乗らず疲れとストレスがどんどん溜まっていました。そんな中、社長とも仕事の面で折り合いが合わなくなり、さらにストレス・・。でも頑張って軌道に乗りさえずれば!と思い二人で踏ん張っていましたが、そのころ子どもを授かったことがわかり、奥さんの体調面や今後の収入のことも考え、その仕事を辞める決断をしました。任せてもらったことから逃げたというような感覚や中途半端で投げ出して申し訳ない気持ちもありましたが、家族を養っていくことを最優先と考え、就活のために会社を辞めました。

辞めたものの、工場で働いた経験くらいしかない+さらにもう工場で働くのはイヤ!という変なプライドがあったせいでなかなか仕事が決まらずこれまたストレス・・。妊娠中の奥さんも不安だったはずです。そんな不安も感じつつ見ないフリをしているせいで、夫婦関係もギクシャク・・。

そんな感じで3か月ほど過ぎたころに、工場はイヤ!なんて変なプライドを持っている場合じゃないと諦め、12月に製造業へ就職しました。変化が苦手だった私には、新しい仕事も大きなストレス。しかもやりたくなかった工場の仕事をしなければいけないこともストレス。夫婦関係もギクシャクしたままだったので、家に帰ってもストレス。

そんなストレスが重なり、年末頃には常に胃のあたりが痛く、食べたり飲んだりすると強めの痛みを感じるようになっていましたが、入社したばかりで休みわけにもいかずとりあえず年末年始の休みまでたえれば・・って気持ちでした(^^;)

でも年明けに我慢できないほどの激痛に見舞われ、さすがに病院へ!その時は、腸炎って診断され痛み止めをもらって帰り安静にしていましたが、数日たっても全然痛みが引かず、痛み止めも効かず、痛くて寝ることも出来なかったので再度病院へ行き、即入院へ。

入院後、色々な検査を経て十二指腸のあたりに腫瘍が見つかりさらに詳しく検査するために大学病院へ転院。大学病院へ行ったらまた検査、さらに絶食開始。1月の下旬に悪性リンパ腫であることがハッキリしたって流れです。

なぜかお見舞いに来てくれた家族が泣いてる(^^;)

入院中、親や祖父母がお見舞いに来てくれていたんですが、なぜかいつも涙目だったんですよ(^^;)自分としては、十二指腸潰瘍か何かで、だいぶひどくてこんなに痛いんだろうなぁ~くらいにしか考えてなかったので、涙目でいる親や祖父母を見て『どうせすぐ治るのに、どんだけ心配しとるんやろ?』って感覚だったんですよね。『絶対治るで頑張るんやぞ』って言われても、『そりゃそうでしょ。だって潰瘍やもん(^^;)』って感じ。だって28歳で今まで入院とかもしたことなかったし、まさかなんかの病気になってるなんて考えませんよね?というか楽観主義なんで考えなかったんですよね。

ただこれは、あとから聞いた話なんですが、実は先生から説明で『末期の大腸がんか、悪性リンパ腫のどちらかで、悪性リンパ腫なら治す可能性があるけれど、末期の大腸がんの場合は余命1か月』って話をされていたらしいんです💦(ちなみに私は何も聞かされてません・・・)そんな話を聞いてれば、そりゃ泣きますわね~(^^;)

⇦まだ何も知ららなかったことの私
 絶食中なので、首から点滴入れてます(^^)

ちなみに、大学病院へ移った後も検査だけで治療が始まっていなかったので痛みは全然変わらずだったんですが、ようやく全ての検査が終わりいよいよ治療が始まる前に、担当医から今回の病気と治療に関する説明を受けました。

聞きなれない言葉ばかりで難しかったし、絶食中で頭回らないし、痛みもあったので細かい内容は覚えていませんが今でも覚えているのは

『この病気の5年生存率は、7割です』と言われたこと。
そして、その瞬間に、【じゃあ、3割は亡くなる?その3割だったら・・】って思った自分への驚きです。
楽観主義の自分なら、7割もあるなら安心じゃん!となるはずですが、あの瞬間は3割に引っ張られましたね・・。

そしてもう一つ。
『抗がん剤治療で精子が弱くなって、今後子どもができないかもしれませんが精子保存しますか?するなら明日までになっちゃうんですけど』って(^^;)
いやいや、それを1日で決めるの?って驚きました(笑)自分としては保存しなくてもいいと思いましたが、一応奥さんへ報告を兼ねて、相談の電話。ちなみにその時、奥さんとはまだギクシャクしてて、ぶっちゃけ離婚の話まで出てました😅今思うとそんなタイミングでよく相談したなぁと思いますが、意外にも冷静に話をしてくれて、『今は二人目がどうなるか分からないけど、できない可能性もあるかもだけど、自然にチャレンジしたいよね。』と話がまとまり保存はしないことにしました。

そんなこんなで、抗がん剤治療が始まり、吐き気はすごいし、指先が痛くなるし、嗅覚が変になってきて家のタオルのにおいで頭痛がするようになるし、まだ絶食中で水分しか取れなかったんですが、ジュースが変な味して飲めなくなったりとまぁ色々と変化が起こりました。事前に説明してもらっていたのが全部来たじゃんって感じ(^^;)

そして、抗がん剤を始めてちょうど2週間後に髪の毛がごそっと抜けました!ほんとに抜けるのかな?って思ってたので毎朝起きたら抜けるかチェックしてたんですが、2週間たった日の朝起きて確認してみたら、ごそっと!

10回くらい手櫛でやっただけで、こんな感じになりました(笑)

この日以降はシャワーを浴びると全身髪の毛だらけ、バスタオルも髪の毛だらけになり、なかなかうっとしい生活でした(^^;)
さすがに鬱陶しくなったので最後はスキンヘッドにしました!

これまでは、状況や様子のお話をメインでしてきましたが、ここからは思ったことや考えてたことの話。

怖さより、後悔

闘病中、このまま命が終わってしまうかもしれない・・・。という自分の命に対する恐怖感はありませんでした。生まれてくる子どもの顔が見れないかもしれない悲しさはありましたが、それよりも、このまま命が終わってしまうかもしれないなら、もっとああしとけばよかった、こうしとけばよかったと後悔することが多かったです。その内容は、ケンカしたままで終わってしまうくらいなら、謝っておけばよかったな・・とか、かつてお付合いしてた人にもっとちゃんと気持ちを伝えておけばよかったな・・とか、嫌いな人のためにあんなに我慢して時間を無駄にするくらいなら、自分が好きと思える人のために時間を使えばよかったな・・など。

そして特に、自分ってやりたいこと、やってみたいこと、いきたい場所たくさんあったんだなぁ~と気付き、こんなことなら今までのうちにやっておけばよかったなぁと毎日思っていました。

と同時に、元気になったらやりたいことをして、いつ同じ状況になっても今の気持ちにならないようにしよう!と決意しました。

一番食べたかったのは、だし巻き卵

結果的に3週間絶食することになった私が、最終的に食べたかったのはだし巻き卵でした。絶食が始まった数日間は、焼き肉食べたい!餃子食べたい!マック食べたい!ラーメン食べたい!みたいなことを思いますが、1週間頃になるとなんとなくお腹すいていることにも慣れてきて、食べるならうどんとか、味ご飯とみそ汁かなみたいな和食願望に変わりって行きました。脂ぎったモノより、優しいものが欲しくなるんでしょうね(笑)

そして私は、最後の1週間くらい食べたかったのは、だし巻き卵です(*^^*)なんとなく明日を迎えられないかもしれないと思ったときに、最後にだし巻き卵だけ食べたいなぁと考えていました。

絶食中にも先ほどの後悔が絡んでくるので、あの時の食事で残しちゃったもの食べておけばよかったな・・・なんてことも思いましたね。またお腹が減ったら、ご飯を食べれるって幸せなことなんだなぁとも思いました。

色々と書かせて頂きましたが、当たり前のような日常って実は幸せなことなんですよ。

お腹が減ったらご飯を食べ、好きな物や美味しいものを食べて当然のように『美味しい』と感じられること。

毎日自分の布団で寝られて、朝起きられること。

行きたい時や自分のタイミングで自由にトイレやお風呂に行けること。

首に点滴が刺さってなくて、動きたいように動けること。

友達や好きな人に会えること。

健康でいられること。

普段はなかなか感じられないかもしれませんが、私のようにある日突然思いもしなかったタイミングで出来なくなると感じられるはず。でも、同じ状況になる必要はないので、今回の私の体験を読んで疑似体験してみて下さい。そうすれば日常にある当たり前の出来事が幸せを感じられるはずですよ(*^^*)

そして最後に、もし明日でこの世が終わってしまう!となったとしても後悔しないようにしてみて下さい。

私のように、なんとなく直面してみるとそんなこと?って様な出来事が後悔の種になることもあります。またやりたいと思うことは、できるだけ早いうちにチャレンジしてみて下さい。

実際にやるだけでなく、やりたいことをやるための準備を始めてみるものいいと思います!

人生で残るのは、やったことだけ!せっかく考えているなら、やってみよ!

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